『弱き修道僧』:詩とコーディングについて(昨日の続き)
昨日、このブログで紹介したスティーヴィー・スミスの詩『The Weak Monk』が、どうも気になったのでさっそく図書館で借りてみた。
郷司 眞佐代氏 編訳によると、日本語のタイトルは『弱き修道僧』となっており、下記のように翻訳されていた。
抜粋:『スティヴィー・スミス詩集』(土曜日術社出版販売) P. 60
ぜひご一読を。
『弱き修道僧』
修道僧は私室にこもり ペンをとり
「神と人間について」と書いた
ひとつの確信が彼を動かした
それはカトリックの教義に反するところがあった
胸騒ぎをおぼえた
かれは書いた 書き続けた
九十歳でやっとペンをおくと
金の留金でかたく本をしばり
羊小屋のしたに埋めた
勤勉な僧の 心は満ちたりていた
きっと神が土の中からこの本を救い出して下さる
神はみておいでだ と
雪が降り雨が降り
本は朽ちていった
いまとなっては
彼がなにを書いたか知る由もなく
あわれ修道僧
その弱さゆえに罪深き
すばらしい、実に味わい深い。さすがはプロの訳。(昨日の拙訳が恥ずかしい)
特に最後の部分は考えさせられた。この僧侶の弱さが罪である、と。
せっかく書いたものを地中深くに埋めて神が何らかの方法で掘り出すことを願う、、、
これが彼の弱気を示しているようで、実は傲慢、不遜であり、自らの範疇から外へ出さなかったことが、結局個人の虚栄心ではないか、ということなのかもしれない。
いろいろな読み方ができる。
詩は実に深い。
以前、マイクロソフトのCEO、サティア・ナデラが詩のすばらしさについて語っていたのを思いだした。
「詩は素晴らしい、たった数行で、物事の本質を捉えることはできるから。これこそ圧縮の最高の形で、最高のコードとは、詩なのだ」と。
“You’re trying to take something that can be described in many, many sentences and pages of prose, but you can convert it into a couple lines of poetry and you still get the essence, so it’s that compression. The best code is poetry.”
— Satya Nadella, Microsoft CEO (出典)
本当にその通りだと思う。
本書によるとスティヴィー・スミスは1902年英国に生まれ、雑誌社の秘書をしながら詩作を続けた。
勧められて書いた小説が先に認められ文壇デビューするも、本来取り組みたかった詩についてはなかなか理解されず、出版は思うようにいかなかった。
そのため、生計のため三十年間も会社勤めを辞めることができなかったという。