ミン・ジン・リー氏のツイートからアイデンティティと言葉の関係を考えてみる

言語は、その人が何を成し遂げようが、どこで暮らそうが、自分が存在する限りついて回る。

今日は、韓国系アメリカ人の作家の、ミン・ジン・リー氏について少し書いてみたい。Wikipediaによると、リーさんは韓国ソウルに生まれ、7歳のときに家族とアメリカ合衆国に移る。
ニューヨークのクイーンズで育ち、クイーンズ公共図書館に通って英語の読み書きを覚えたという。
ブロンクス科学高校を卒業。イェール大学に進学し歴史学を学ぶ。その後にジョージタウン大学ローセンターで法律を学んでいる。
1993年からニューヨーク州で企業内弁護士として働くが、1995年からは執筆活動に専念。
4年間ほど日本に暮らしていたこともあるそうだ。

移民一世のエリートらしい輝かしい経歴で、イェール大学在学中にすでにノンフィクション作品に贈られるヘンリー・ライト賞とフィクション作品に贈られるジェームズ・アシュムン賞を受賞している。

近著『パチンコ』は全米図書賞の最終候補作にも選ばれている。
あのバラク・オバマ前大統領も「2019年のフェイバリット・ブックス」として推薦している!

内容は「四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いて全世界で共感を呼んだ大作」、とのことで必ず読んでみたい。

さて、今日そんな彼女を取り上げたのは、彼女がTwitterで7月23日に、言葉に関する自分の経験をつぶやいていたのが気になったから。

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”A Yale History professor told me to get tutoring for my “remedial English.” I’d already received Wright Prize for nonfiction & later that year, the Veech Prize for fiction, so I told him: “It’s not that I don’t know how to write; it’s that you don’t know how to read.” 

(拙訳)イェール大学の歴史学の教授から、"英語の補修"の個別指導を受けるように言われました。私はすでにノンフィクションのライト賞とその年の後半にフィクションのヴィーチ賞を受賞していたので、彼にこう言いました。「私が書き方をわかっていないわけではありません。あなたが読み方をわかっていないのです。

You shouldn’t have to win prizes to defend your writing. I just want to witness here that language and style can be an oppressive force. I teach writing at a college, and I want my students to love the power, beauty, and suppleness of language.

(拙訳)自分の文章を守るためになにも文学賞を受賞する必要はありません。ただ私がここでいいたいのは、このとき言語と文体が抑圧的な力になりうるのを目撃した、ということです。私は大学で文章術を教えています。生徒たちに言語が持つ力、美しさ、しなやかさを愛してもらいたいと思っています。
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もう何も足す必要がないくらい明白な文章で、言語と表現について現わしている。

在学中から大きな文学賞を複数獲得するような人でも、時としてこういった事象に遭遇する。
特に言葉のことは抑圧的で、マウントしてくるような重みをもってのしかかってくる。

でも、こういうときこそ、きっぱりと自分の考えを主張することが大切なのだ。
たとえ相手が歴史学の教授であろうとなんだろうと。
これが自身のアイデンティティに関わることだから。

ツイートの後半でこうも書いている。

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"All of us exhibit conscious and unconscious bias, but when teachers do this, it leaves an unwanted lesson."

(拙訳)私たち全員が意識的および無意識的な偏見を持っていますが、特に教師がこれを行うと、望ましくない結果が残ってしまいます。
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リーさんがいうように、教育の現場ではもちろんだが、こういったことは社会のあらゆる場面でも感じる。

こと言葉や言語に関しては、自分のアイデンティティとイコールでないにしても、ほとんど同じくらい自分を形成する柱で、パーソナルなものだから、何か嫌なことを言われれば傷つくし、称賛されればうれしい。

言葉が思考と密接に結びついているし、「私」の人となり、「私」を作っているものに大きな役割を持つものだからかもしれない。

アイデンティティ、言語の部分についてはこれからもずっと考えていきたいと思う。


ご紹介の本:

 




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